「個人」という錯覚を解く

悟りとは、あらゆる錯覚の消えた状態である。

2018-07-01から1ヶ月間の記事一覧

十二縁起

十二縁起。十二因縁ともいう。 これは時系列の因果関係ではない。時系列で考えるとさっぱりわけのわからないものになってしまう。 これは縁起のドミノである。 老死は有るのでも無いのでもなく、縁に依って起こっているのである。 つまり、無明が晴れると、…

対機説法以外にない

仏教では対機説法という言葉がある。 これは相手によって法の説き方を変えるということである。 実際、そのような相手による説法しかできないのである。 なぜなら、仏教とは全ての観念を破壊する教えであり、そこが科学とは似て非なる所以である。 観念は無…

ヴィパッサナー

ヴィパッサナーという瞑想がある、らしい。 自分は師についたことがないので文献情報だけで知っているのであるが、この瞑想のラベリングというのは蛇足であると思う。 これはおそらくあまり理解のない者が四念処と瞑想をごっちゃにしてしまったのではないだ…

全ては苦しみである

全ては苦しみである。 苦しみが生じる。 苦しみが滅びる。 生じる前、滅びた後に焦点を当てれば苦しみはもう苦しみとならず、力を失いやがて「実在」だけが残る。