2018-07-07 対機説法以外にない 仏教では対機説法という言葉がある。 これは相手によって法の説き方を変えるということである。 実際、そのような相手による説法しかできないのである。 なぜなら、仏教とは全ての観念を破壊する教えであり、そこが科学とは似て非なる所以である。 観念は無数にあるが、「私は身体である」「私には何かが欠けている」「私(がいる)」「苦しみ以外もある」といった共通の主だった観念以外は、皆それぞれ異なった観念を持っている。 観念が人それぞれなので自ずから説法(観念の壊し方)も人によるということになる。