「個人」という錯覚を解く

悟りとは、あらゆる錯覚の消えた状態である。

2018-06-17から1日間の記事一覧

知識を求めることこそ無知のあらわれ

知識を求めてどうしようというのか。概念、観念をどこまでも積み上げるだけではないのか。 概念、観念はいくら組み替えても真実に到達することはない。 それらを捨ててこそ真実に到達するということがある。 知識を求めることが無知のあらわれである。

智慧

悟った人(この言葉は矛盾だがあえて使う)なら誰でも悟りへの道程を解説できるかというとそれは違う。 悟り以前に培ったものが智慧として反映されるからである。 だから、悟り(苦しみからの解放という意味で)を求める人は誰の教えを聞くかが重要である。 …