「個人」という錯覚を解く

悟りとは、あらゆる錯覚の消えた状態である。

知識を求めることこそ無知のあらわれ

知識を求めてどうしようというのか。概念、観念をどこまでも積み上げるだけではないのか。

概念、観念はいくら組み替えても真実に到達することはない。

それらを捨ててこそ真実に到達するということがある。

知識を求めることが無知のあらわれである。